【少年野球審判講座第7回】「塁審での判定の基本・その2」
塁審でのタッグプレーの見方
今回は塁審でのタッグプレーや挟殺プレーの見方、ボーク宣告などについて説明いたします。
まずタッグプレーですが、これはほとんどが走者の滑り込む足と、それにかぶせる野手のグラブのどちらが先か、というプレーになります。
ですからあまり遠いと鮮明には見えませんし、かといって近づきすぎると送球がそれた場合の対応が難しくなります。
よって基本的には塁から3メートルくらいの位置で、と心がけてください。
そしてフォースプレーと同様、これも送球を目で追い過ぎないこと。
早めに頭を固定し、そこでプレーが起こるのを待ち構えるようなタイミングで見てください。
気を付けなければならないのはタッグ後の落球、あるいはオーバースライドして走者の手や足がベースから離れた時にタッグされるケースです。
前者はとにかく慌てずに野手のグラブ内にボールが確捕されているか否か一呼吸置くこと。
後者はセーフを出してからアウトとコールしてもかまいません。
アウトになったのはあくまでも塁を離れたからであり、タッグの瞬間にはセーフだったからです。
挟殺プレーも多いのですが、これは基本的には2人の塁審がアイコンタクトをし走者を両サイドから挟むようなポジショニングを取ってください。
こうすれば走路から3フィート(約90センチ)離れた時のラインアウトが見やすいのです。
この走路とは塁間を結ぶ直線ではありません。走者と塁を結ぶものです。
してタッグ行為とはボールを保持していなければなりません。
ですから例えば右手にボールを持っていて、左手の空のグラブでタッグをしてもアウトにはなりませんし、ラインアウトも適用されません。
ただしあまりにも大きく走路を離れた場合には走塁放棄としてアウトを宣告されることもあります。
これはひとえに審判の判断となります。
ボーク宣告
ボーク宣告は退場とともに最も難しい、と言われます。
細心の注意と度胸が要るからです。
積極的に見つけに行かなければとても瞬時にはコールできません。
ボークは全部で13項目ありますが、その概要は同時配信の動画でご確認ください。
審判員が心がけることは「怪しきは罰する」という方針です。
特に基本を学び、楽しい野球であるべき少年たちには勝利至上主義にまみれた不正まがいの牽制球を教えてもらいたくない、というのが私の本音です。
誰が見てもボークではないという正しい牽制球を教えるのが指導者の責任であり、プレートマナーが良い、ということです。
特に微妙な塁への踏み出しの幅や角度、投球するような欺瞞行為、それらをボークと見るか否かは全て各審判員の判断ですし、たとえプロでも全員一致とはならないのがこの判定の難しさです。
一人でもそれをボークと見たならばボーク、そしてその判断を全審判員で支持する、この原則を守ってください。
ボークはインプレー
またボークは基本的にはインプレーです。
例えば牽制球が悪送球になり各走者が少なくとも1個以上の進塁をしたり、打者がその投球を打ち安打やエラーなどで出塁したならばそれらのプレーは全て生かされます。
プレーが停止した時にはボールデッドとなります。
挟殺プレーが始まった時も然りです。
なぜならボークにより走者は1個の安全進塁権を得ているからです。
宣告の仕方はその投手に向かって右手を指さし、「That’s a Balk」と大きくコールしてください。
他の審判も同調してコールした方が方が説得力も増すでしょう。
そしてプレーが停止したならばタイムをコールし、各走者に1個の進塁指示を与えます。
とかく監督やコーチなどは「どこがボークなんだ、説明しろ!」などと息巻くこともありますが、それは不要。
なぜボークだったかは審判員同士の確認事項であり、試合後の対応で十分です。
1955年7月2日、新潟県上越市生まれ。幼少期から野球が大好きで、プロ野球選手を目指すも、実力を悟り断念。79年に北海道大学文学部国文科卒業後は、プロ野球担当記者になろうと、日刊スポーツ新聞社に入社。しかし、野球現場への夢を諦めきれずに一転、同社を退社して82年にパシフィック野球連盟と審判員契約を締結する。84年、一軍戦に右翼線審として初出場(西武対南海)。同年に、Jr・オールスター戦に出場(以後3年連続出場)すると、86年イースタン・リーグ優秀審判員賞受賞した。88年、一軍戦で初球審(ロッテ対南海)すると翌年、一軍戦レギュラーメンバーに昇格。フロリダのジム・エバンス審判学校(フロリダ)への派遣留学、オールスター戦出場などの経験を積み、99年7月に一軍公式戦1000試合出場達成。10年10月に千葉マリンスタジアム最終戦(ロッテ対オリックス)で現役引退するまでに、一軍公式戦1451試合に出場した。その間、歴代1位、計17回の退場宣告を行った審判として知られる。引退後は日本野球機構(NPB)と審判技術指導員として契約。18年に同機構を退職し、現在は「審判応援団長」として審判の権威向上と健全なる野球発展のために講演・執筆活動を行っている。
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