【少年野球】子どもと大人の時間の長さが違う理由
お父さんのための野球教室の桜井です。
「俺」。
突然、小学一年生の息子が「俺」と言い始めた。
つい昨日まで自分のことを名前で呼んでいた息子。
そろそろ「僕」と呼んだほうがいいんじゃないか、
そう言おうと思っていた矢先だった。
「僕」を飛ばして「俺」と呼ぶようになった。
でも「俺」とか言いながら、まだ歩くときに父親の手をつないでくる。
ので、息子の「俺」には違和感も感じている。
「俺」は品がないと言う人もいるかもしれないけれど、
僕は何も言わずに息子の「俺」を受け止めている。
「俺」に息子の成長を感じることができるからだ。
僕の見えない所で友達たちと過ごす彼の姿を、
ちょっとだけ垣間見ることができるからだ。
人を傷つけているわけでもないから。
「俺」と言いながら手をつないでくる幼さに、
「見た目は子ども、中身は大人」という名探偵的な違和感があるけれど「俺」を受け止めている。
「俺」は成長を記す柱の傷、みたいな感じ。
で、僕は子どもの言葉にアンテナを張っている
子どもがその言葉を使う必然性を探るのが好きだからだ。
僕が幼稚園児の頃の話。
僕が1年ほど前を振り返って「昔、そんなことがあったね」と言うと、
両親は「昔って」と言って笑った。
大人にすれば1年前は、ついさっきだ。
僕も、あの頃の両親と同じくらいの歳になって、
あの時、僕を笑った両親の気持ちはわかる。
でも、幼稚園児の子どもにとって1年はまぎれもなく「昔」であることも覚えている。
どこで聞いたか忘れたけれど、
子どもと大人が持つ時間の感覚、
時間の経つ速さの感覚が違う理由は、
その時間が人生に占める割合が
違うからだ、と聞いた。
なるほど、と思った
たとえば、1年が経ったとしよう。
5歳の子どもにとっての1年は、人生の5分の1を占める。
けれど40歳の大人にとっての1年は人生の40分の1だ。
つまり、同じ1年だけど、5歳の子どもの1年は、40歳の大人の8年に相当する。
だから、あの時僕が「昔」と言ったのは間違いではない。
そう考えれば、息子は突然に「俺」と言ったわけではない。
彼は長い時間をかけて成長したんだ。
それに僕が気づかなかっただけなんだ。
大人の毎日が早すぎて。
子どもから目を離してはいけない。
ぼーっとしていると、決定的瞬間を見逃してしまうかもしれない。
溺れていることに気づいてやれないかもしれない。
突然「お父さん」が「親父」に変わる日は、そう遠くないのかもしれない。
その時、手をつないでいないことを願う。
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お父さんのための野球教室
1978年生まれ。奈良県出身。大学関西地方リーグで最優秀投手賞(’97年)、最優秀選手賞(’99年)を受賞し、野球部創設以来初の全国大学野球選手権大会に2度出場。最高成績はベスト8。東海地区、社会人野球の名門へ進み、社会人野球の甲子園である都市対抗野球大会に2度の出場。引退後は、人気野球指導ブログ「お父さんのための野球教室」を開設。体系的でわかり過ぎる野球指導法は小学生の保護者に爆発的な支持を得て、DVDや書籍化。現在も、ブログでの指導法の発信、高校野球の現場で学生野球選手のサポート活動を精力的に行う。
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